Japanese/English

Aug 5, 2009

Antichrist

ラース・フォン・トリアーのAntichristを見てきたのでメモ。
色んな意味で忘れられない映画になった。

以下、ネタばれあり。

大荒れの記者会見やら、散々な評価を予習してから見に行ったので、どうなることやらと思ったが個人的にはかなり楽しめたと思う。
大方の批評の的である暴力的な描写は確かに凄かった。
ミヒャエル・ハネケもギャスパー・ノエもびっくりの容赦ないもので最後の方はあまりの生々しさにむしろ逆に面白くなって吹き出しそうになる。
グロシーンの度に会場からはどよめきが。中には帰る人も。
後ろのお兄ちゃんは小声でfuckとjesusを連呼していた。

・ダンサー・イン・ザ・ダークでパルムドールを受賞したトリアー。
手持ち撮影、編集禁止などの独自のドグマに従って撮られたイディオッツはなかなか衝撃だった。
イディオッツやダンサー~ほどラフな手持ちではないものの、通常のラフな揺れを持った撮影と冒頭のキメキメのモノクロの回想シーンのコントラストがよく働いていた。このコントラストは「ダンサー~」の手持ちvsミュージカルにもいえる(浅田彰)。
今回は今までの彼の作品にはなかったCGを実験的に多用している。

・ヘンデルの「私を泣かせてください」が利いている。

・「タルコフスキーに捧ぐ」と最後に出てくるが、森の中の小屋、ノスタルジックな映像美や音響の使い方、個人の精神世界が象徴的な超常現象として現れてくるところに、特に「鏡」辺りへの影響・オマージュが見られる。
個人の精神が自然世界に象徴的にシンクロしていくあたりは村上春樹及びセカイ系に通ずるものがある。
象徴的な動物の登場も春樹的。ラカン辺りを勉強したくなる。
CG満載の映像による幻想的な森や緑との同化など、妻の精神世界の中だけの現象だったものが徐々に表層化していき、蠢く森、サブリミナル的に窓に映る女の顔など、妻の精神世界を描写しているものなのか、現実のものなのか判別できない曖昧なものに変わっていく。
自然>彼女なのか彼女>自然なのか、どちらが修羅の元なのか読み解けないヒエラルキーのない微妙なバランスがよいと思う。
エデンの森に着いて以降、妻の精神世界にシンクロする自然を夫を通して観客は体験していく。
最終的に夫は妻の「evil」に「感染」する。
夫が最後に見た顔のない裸の女性の群れは一体何を象徴しているのか。

・息子の死によって精神を病んだされていた妻だったが、かつて妻が息子とgynocideの論文を執筆した小屋でセラピーをする中で、夫はその以前から妻が女性=悪というgynocide的妄想を抱き精神を病んでいたことを知る。クリトリスの切除はその象徴的な行為。また検死によって判明した息子の足の骨の変形は妻がブーツを逆に履かせていたためであると道具小屋にあった写真から判明(鳥肌)。足の変形は窓からの転落と繋がってくる(そういえば転落時の映像で息子の足が奇妙に開いていたような気もするが記憶が不確か)。終盤のクライマックスでの転落の回想シーンでは冒頭のそれにはなかった、妻がはっきりと息子の転落を見つめている冷ややかな表情が映される(これはもしかしたら妻か夫の捏造された記憶かも知れない)。個人的にはこの時の妻の表情と、ブーツを逆に履いた息子と一緒に写る妻の表情の方が暴力シーンなんかよりよっぽど怖かった。


結果的にいうと個人的にはかなり高評価だが、お勧めはかなりできない。


 

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