Japanese/English

May 31, 2009

アイスのてんぷら。

最近、オキシモロンが気になっている。

オキシモロン(oxymoron)とは要は相反する言葉の組み合わせ。
有名な例だとシェークスピアの'must be cruel to be kind'がある。

アンビバレントで詩的な感情を沸き起こす不思議な表現である。

単なるレトリックと考えれば、冷たい太陽、優しい死刑台、芳香なうんこ、など無数につくることができるが、中には一見矛盾するように見えても論理的に正しいものがある。例えば、ソクラテスの「無知の知」などがそうだが、その中でもとっておきのベストオキシモロン賞がこちら。


我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じるチームワークだけだ。


荒巻課長、まじおきしもろいです。
あるものとそれをメタに捉えた時の、レイヤーが違うふたつの対象の形容の組み合わせ、というオキシモロンパターンが自分的に壷だが、最初からありえない組み合わせのオキシモロンも詩的で好きです。

戦う女子高生的なモチーフにも通ずる脳内麻薬タイプ。


さて、課題。




 

May 10, 2009

Roni Horn / Amerika


PCがいかれてマックなのにウィンドウズしか起動しなくなった。シュール。

テートモダンでRoni Hornを見てきた。
名前は聞いたことあったがずっと写真の人だと思っていた。
初期のミニマリズム的立体作品から90年代に入ってからの写真作品群、ドローイング等幅広いメディアを使っているが、基本的に文学からインスピレーションを受けたナラティブなコンセプトが根底にある模様。作品中に詩の引用などのテキストが多く使われている。

個人的には部分部分がナンバリングされてコラージュによってコンポジションが検討されているドローイングがヒット。

ガラスの彫刻ピンクトンが鬼かっこいい。

ピンクトン。

ん。

図書館で借りたカフカのアメリカ(失踪者)をようやく読み終える。今やってる課題のために読んだのだけれども。
ちなみにカフカはアメリカに行ったことがない。
invisible cityにもいえることだが、自分が行ったこともない、情報も断片的な土地の物語を作るということは一体どういうものなのか。
情景と描写、どちらが先行するのだろう。





 

additive inverse


フォーサイス週間最後の作品、additive inverseを潰してきた。ちなみに無料。

水槽のような囲いの中に充満したスモークに天井に設置された3つのプロジェクターからそれぞれ円が投射され、三本の柱が少しずつずれたような詩的な光の軌跡が浮かび上がる。サーペンタインでやっていたAnthony McCallを思い出す。

その横で糸を自分の体に巻きつかせ拘束させながら、かつそこから逃れようともがいている様にも見えるパフォーマンス。最初、糸が細いのでパントマイムかと思ってしまったが本当に糸を使っていた。体に絡まったいまにも切れそうな糸をたくみに操り、その制約との関係性がそのままダンスになっているようで、単なる恣意的なダンス表現とは一線を画している。知的。インスタレーションとパフォーマンスの関係はよく分からないけれども、幻想的な光の輪が何か天国のメタファーのように思える。



AAの図書館でフォーサイスの本を見つける。いかにフォーサイスの出自がクラシックバレーにあるかがよく分かった。昔のギエムとの作品なんかをyoutubeで見ると、もっと今よりクラシックバレーに近くていかにバレーを解体、再構築しているかが分かりやすい。形式の使い方とその関係性のずらし方がまじポストモダンだなと帰りのバスでヴェンチューリのナショナルギャラリーの横を通り過ぎながらふと思う。ただありえない体軸の傾きや超速スピードの振り付けといった形式の増幅ドライブが逆に身体性を炙り出しているところには、ポストモダン建築的な単なる記号的転用とは違う正統性も感じられる。ビバ脱構築。現在のフォーサイスもかなり完成度マックスの洗練されたものだったが、90年代のフランクフルト時代の作品をタイムリーに見ていたらきっと殺傷能力抜群だったろう。


そして会場に馬鹿でかいスタイロ忘れる、まじフォーサイス。




 

May 4, 2009

フォー











久しぶりの更新。
怒涛の提出ラッシュが終わった途端、新しいプロジェクトが始まった中、澤田はフォーサイスに浮かれてます。


最近ロンドンでコンテンポラリーダンスの巨匠フォーサイスのイベントが数多く催されている。
本当はテートモダンの舞台に一番行きたかったのだけど、売り切れでいけず。
でも課題の合間を縫って舞台とインスタレーションを何個か見てきました。

You made me a monster/
観客も演者と同じ舞台上で鑑賞。観客が作った不可能な形をした骨格の彫刻の影のスケッチをダンサーが譜面に見立てて、即興でダンスに解釈し落とし込むというもの。おでこについたマイクから拾われるダンサーの声やマイクを直接たたく音にエフェクトがかけられて不穏な雰囲気が漂う。演者が観客の中を踊りながら縫うように通り過ぎて行くのは新鮮。でもちょっと異様で怖い。

decreation/
マイクの音にインタラクティブにエフェクトをかける手法はdecreationでも使われていてdecreationでは更に中央に置かれたプラズマに演者のカメラによって撮られた映像にエフェクトをかけたものがリアルタイムで写される。18人の演者の中で愛と嫉妬を中心にしたコミュニケーションが数珠繋ぎに連鎖していく。上下手に置かれた控え用の椅子から演じるダンサーだけが舞台の中心にでてきてダンスを演じる様子はからルーツバスケットを想起。日本人ダンサーの安藤さんが輝いていた。

Scattered Crowd/
キングスクロスの近くのおそらく元倉庫であろう建物を使っているのだが、すでにこの建物の廃墟オーラだけで逝きそうになる。風船をふたつつなげたものが大量に浮遊していて空間に充満している。ひとつひとつはかなりシンプルなものでも大量の反復によってある値を越すとランドスケープになる。天窓からの光とEkkehard Ehlersのアンビエントミュージックも相俟って昇天する。幸せになる。




ついでに最近見た他のものもメモ。


SHUNKIN / サイモン・マクバーニー

これは今まで見た舞台の中で一番よかったかも知れない。深津絵里を主演に谷崎の春琴抄、陰影礼賛を舞台化したもの。演出のサイモン・マクバーニーは以前にも村上春樹を演出している。舞台自体はとてもミニマルな構成で数本の棒切れだけ用いて木陰や襖などを表現していた。プロジェクターを使った演出も見ていて飽きない。
新聞に出ていたインタビューを読むと、脚本は最初書かずに演者に春琴抄を熟読させて、部分部分でエチュードをやらせてワークショップ形式で序所に脚本を構築させていったらしい。ブリコラージュ的か。

そういえば蜷川幸雄の十二夜も観劇しました。良質な舞台を格安で(そして円高で)見れるのはロンドンのいいところです。

Denise Scott Brown & Robert Venturi
ヴェンチューリがAAにレクチャーにしにきました。課題の提出の前日という嫌がらせとしか思えないスケジュールにもめげず参加してきました。
ヴェンチューリのレクチャーはとても短く、ほとんどの時間が今回AAから出したDenise Scott Brownのレクチャー(かなり長い)時間が割かれていたのだが、ともに面白く拝聴。普通に見れば明らかに美しくない様々な商業看板に冒された写真を見ながら「very beautiful」と言ってのけるのに驚く。
ともに影響を受けたり好きな写真をreferenceとして列挙していくレクチャー。オルジアティもそうであったが。

とういうことでtumblrはじめました。
ハッシーに教えてもらったのだが、ネットで見つけた気になった画像、文章などをどんどんストックしていける。今まで画像はハードディスクにぽんぽん放り込んでいたのだが、これは簡単にリンクで元の場所に飛べるがよい。デザイン&アート系ユーザーが多いように思える。ブログと比べると記事をつくる手間を省いただけのように思えるのだけど回数が増えるとその少しの手間の違いはだいぶでかい。

ヴェンチューリ再考週間はじめます。

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